みんなが転職を決意した理由

人が転職するには何かしらの理由があります。中にはそんな小さな理由で仕事を辞めるの?なんてのもありますが、人それぞれの転職した理由を知ると意外なことも見えてきます。

転職したら給料アップしました

もう20年ほど前ですが、私は高校を卒業してすぐに介護の仕事に就きました。
もともと工業高校出身の私は、車の整備工になりたかったのですが、就職試験に落ちたのをきっかけに、整備工を諦めてなんとなく介護の仕事をしようと決意しました。

当時は、資格もなく手取りで14~15万円でした。高校を卒業してからなので資格はもちろん、経験すらなくただただ先輩の真似事をして仕事を覚えるという感じでした。

勤務時間は7時から16時、10時から19時、あとは夜勤で16時から9時という勤務でした。女性の多い職場でもあり、なかなか気を使う場面もありました。

また、どの職業でも人間関係というものがあると思うのですが、人間関係が最悪の職場でした。例えば女性同士の派閥や陰湿なイジメがあったり、私は派閥にも属さないし、イジメを受けた経験もなかったのですが、何気に3年働いてみると、給料の低さも理由の一つですが、毎日がマンネリというか、同じ仕事の繰り返しというのに嫌気がさして、他の職種にも就いてみたい、もっと給料の良い仕事がしたいという思いが強く転職を決意したのです。

そこで求人雑誌を見たり、職安に通いながら次の仕事を探していましたが、介護の経験しかない私には他の職種は向かないのではと、葛藤が芽生えて次の職業も、同じ介護の仕事に就いたのです。今の職場は、新しく出来た施設なので人間関係は一からですし、先輩という存在がなく同僚みんなが同期という感じでした。

最初は、お客も少なく給料も10万そこそこだったので転職しなければ良かったと思いましたが、資格も取り経験も増えて数年も経過すると、機動に乗り現在では、手取りで17~18万円ほどになりボーナスもそれなりにもらえ転職して良かったと感じるようになりました。辞めた後に感じたことといえば、人間関係も一からで同僚や上司との信頼関係を築くのも仕事も一から覚えるというのが慣れるまでに時間も費やし苦労しました。

デスクワークから立ち仕事への転職

私は、転職する前は通信系のコールセンターで契約社員として働いていました。
そして、転職前の給料は、時給1,050円で週2日休みで月に手取り16万円程の収入です。
勤務期間は3年で、入れ替わりの激しい職場の中では古株な方でした。

私が転職を決めた理由は、私の部署はインバウンド業務担当で、お客様から受電があった際には直ぐに「ピッ!」という音と共に通話が開始されるのですが、その音が鳴る度にストレスになっていました。何故かと言うと、やはり色々なお客様がいるわけで、妙に怒りっぽい方もいれば、滑舌の問題か何を言っているのかが全く分からない方、いくら説明しても全く理解してもらえない方や、はたまた業界の方なのか知識が豊富過ぎて、こちらが知らないような難しい質問ばかりしてこられる方など様々だったので、酷いときには受電待ちの間、手汗を掻き心臓がバクバクと鳴り響き「もしやパニック障害なのでは?」と思う程に緊張した日もあります。ただ、それにも波があり、上記のように緊張する日があれば一切緊張せず、終始心穏やかに業務をこなせる日もありました。

しかし、あまりに精神的に負担がかかり辛かったため、辞めることを決意したのです。
その後、販売業に転職したのですが、デスクワークからいきなりの立ち仕事へ転向だったので、初めのうちは足がパンパンになり疲れ方が酷かったです。

が、充実していました。対面での接客の場合、会話の他に身振り手振りで伝えることができるためコールセンターより私に向いていたと思います。ですが、コールセンター勤務が役に立ったことがあります。それは、コミュニケーション力と電話応対のスキルがついたことです。出来て当然のことですが、コールセンターで働く前に比べると、敬語の使い方で間違った使い方をせず話せており、色々な年代のお客様に合った話し方で接客が出来ています。

また、以前は苦手だった職場での電話応対も、自信満々に率先して受話器を取ることが出来ています。コールセンターで働いてきたお陰で、キツイ思いをした分だけ確実にスキルアップできたと感じました。

辞める勇気を持ったから開いた道

パートで相談員をしていた私は、その仕事が好きでしたし、やりがいを持っていました。
始発で仕事に出勤し終電で帰る程、若いなりに仕事に打ち込んでおり、そして、残業代も出ないのに頑張っていました。
お給料は固定で毎月10万円。
一人で生活する事は出来ない金額でしたがやりたい仕事でお金を貰えるという充実感がありました。
その仕事に就いていつの間にか3年立っていて、パートであっても沢山の事を聞いて貰える位になっていましたし、会長からも絶大な信頼を置いてもらい、相談員だけでは無く、最終的には会長の左手として働かせていただく事も出来、引き抜きももらった位でした。

しかし、私に事件が起きてしまったのです。
仕事として会長の側で働いた事をきっかけに私は女性達からやっかみをもらってしまった様で、会長と変な噂がたってしまったのです。
会長と噂になると仕事がやりにくいのもありましたが、何よりも会長の奥様に目を付けられてしまい、毎日監視されているのではないかと思う様な仕事の仕方をするはめになりました。

会長が優しくしてくださると、下心があるのではないかと思う様になってしまい、そんな時、同じ会社で付き合っていた方が、会長との噂を知り、私の事を信じてくださらずに別れる事になり、自分自身も追い込まれ、このまま周りの目を気にしながら働いていたら、自分らしい仕事は一生出来ないのでは無いのかと考え転職しました。

辞めてしまって、自分の好きな仕事はもう出来ないのでは無いんじゃないかや、自分の能力を活用出来る職場に出会えるだろうか等、次の仕事が決まって無い状態で辞めてしまてマイナスな事を沢山考えてしまいましたが、辞めた後は、少しだけ貯めていたお金を使いながら、仕事ばかりに追われて出来なかった旅行に行ったりと自分の為に過ごし、元気を取り戻し、新しい職場へと転職しました。

元気になるとその時よりも環境が良く良い職場に勤める事が出来たので、辞めて結果的には良かったなという気持ちだけが残りました。

私が転職を決意した理由

私は4年制大学卒業後に、商社に就職しました。商社だったため給料もよく、福利厚生などの待遇もとてもよい会社でした。商社では経理部に配属され、経験がない新卒社員にも親切に仕事を教えてくれる古風な会社でした。

ただ、給料の決め方が男性と女性とでことなっていたことが最初から気になっていました。採用されるときに男性は総合職で女性は一般職として採用されるため、基本給が男性と女性とで違いが出ていたのです。仕事内容も男性と女性とでは大きく違い、男性は責任ある仕事を任される前提で先輩に仕事を習いながら働いていました。

しかし女性は入社した時からずっと同じ仕事をしていて、年齢を重ねている女性社員も新入社員と全く同じ仕事内容でした。女性社員は名前で呼ばれず「女の子」と呼ばれていました。女性を馬鹿にしている会社のように見えましたが、実際は女性は扱いも「女の子」としてとても大切に扱われていました。

顧客からクレームがくれば失敗した当事者の女性社員は表には出ず、男性社員が謝罪をしてくれていました。ある意味女性社員は居心地のいい会社でした。しかし、年齢が30歳を超えると女性社員はお客様の目には触れない部署に異動することが暗黙の了解でした。私は25歳になっても結婚する予定もなかったため、ずっと会社員として働くつもりでした。

しかし、人目につかない部署で肩身の狭い思いをしながら働き続けることは嫌だったのです。25歳の時、定年まで落ち着いて働ける会社を求めて転職を決意しました。総務部長に退職する旨を伝えた時は転職先のあてもありませんでした。
総務部長は私の転職先があるのか心配してくださいました。転職活動は退職してからゼロから始めました。転職活動は想像よりも困難を極め半年かかりました。退職直後は強気で転職活動をしていましたが、何度も不採用通知が届くと前職を辞めたことを後悔していました。

無事に転職先が決まったからよかったけれど、もしも転職先が決まらなかったかと考えると恐ろしくなります。現在では、前会社も年齢がいっても育児休暇の取得や復帰もできる会社に変わったと聞きました。辞めた後に感じたことは、会社内でどんな噂があろうとも、自分にとって居心地がいい会社であればそこはいい会社と言えるということです。

私の夢に近づくために

1、転職前の職業
パートでのチェーン雑貨店販売スタッフ

2、給料(月給や時給)
転職前は時給950円ぐらい
転職後は時給1000円ぐらい

3、経験(勤務期間)
荷捌き、品出し、レジ打ち、接客応対、が主な仕事でした。
荷捌きと品出しは、その日入荷したものを倉庫に整理しながら置いたり、そのまま入荷したものを品出ししたり、売り場に無くなったものを倉庫から品出ししたりしましま。
レジ打ちは、1日の中で1,2時間レジにずっと入っている時間がありました。
接客応対が、一番メインの仕事で、お客さんが欲しいものが店に無かった場合に取り寄せたり、大きな家具は、相談に乗ってアドバイスしながら商品を決めることが多く、商品が決まった後は、配送の日時を決め、配送を手配したりしました。

4、転職を決意した具体的な理由やきっかけとなった出来事
以前のパートを始めた理由が、通信制の大学に通い、教師になるために教員免許を取得する間に、空いた時間でお金を稼ぐためでした。
なので、パートの面接の時点から教員免許免許が取得できればその時点で退職する予定であることは伝えてあり、了承してもらっていました。
そして、2年間かけて、教員免許を無事取得することができましたので、それを活かして学校現場で働きたいと思い、転職しようと思いました。以前から言っていたことだったので、すんなり最終出勤日も決まり、有給を最後に消化して辞めることができました。

5、辞めた後に感じたこと
特に専門的なことは求められないにしては、良い時給で働かせてもらっていたなと思いました。
一緒に働いていたスタッフも、みんな良い人ばかりで、やはり接客業は、面接の時点で人当たりの良さそうな人ばかりを採用しているから、みんな気さくな人ばかりだったのかなと感じました。
今は学校現場で、教員の補助のような仕事をしていますが、全く違う仕事ですが、通ずるものがたくさんあり、以前のパートもやってて良かったなと感じました。